- 今期最後のエリザベートは花總井上山崎!
- 同じ役なのに人が違うと全然ちがうな~~~~~!という印象
- 初のいくさぶルキーニだったんですがチャラい!
- キッチュってシャウトのとき下がるのがノーマルで、Serkanと成河さんがアレンジで上げてるのかな??
- 今回はかなりラブストーリー寄りに感じた
- 多分ルキーニが正しく狂言回しという印象だったので、シシィとトートの主役感が増して、舞台面で起きていることが全て真実のように演出されてた気がする…
- エルマーのくだりとか、三色旗ドレスとか所々1789のフェルゼンがチラ見えする…
- なんでお前いるの感という意味
- 色んな演出できるのがエリザのいいとこのひとつなので、イコケ以外の演出で見てみたいな…
キッチュにおける帽子キャッチについて
- 成河ルキーニ、キッチュの帽子キャッチでシシィが毎回逆さになる
- Twitterで感想をみてると、演出じゃなくて偶然逆さになったと思って笑う人がけっこういる…
- 気づき方も自然だしそりゃ初見だとハプニングだと思うよねぇ
- 今まで逆さのシシィは「エリザベートはまがいものなんだぜ」っていう軽い皮肉だと思ってたけど、初見の人がハプニングだと信じて笑って和んでるってこともルキーニの意図するところなのかとも思った
- もしかしてキッチュのナンバー自体まがいもので、シシィと同時に観客もルキーニに皮肉られてるんじゃないかなって
- ルキーニ自身の意図でシシィの絵を毎晩毎晩100年以上逆さにしてるって考えると、もうそうとしか思えないので…
- 本当にルキーニは信用できない…
- やっぱりエリザベートは、ルキーニが語って牽引していく物語だよねえ
- ルキーニ自身が自殺を100年以上繰り返していて、死に翻弄される存在だし、虚構と真実・主観と客観・偶像と実態の引っ張り合いでできてる物語…
死は逃げ場ではない問題
- ルドルフ死後、シシィがトートにすがって拒絶されるシーン、理由がまじのまじで今まで謎だったけど今回やっとなんとなく理由が腑に落ちた気がしている
- あんなに死ね死ね言ってたじゃん!って思っていた
- 東宝版宝塚版だけじゃなくて、もうウィーン版からして謎だった
- ルドルフを自身の生き方によって死なせてしまった責任で、シシィは自分から死を選び取ることすらできなくなったって表現が、それなのかなと思う
- それまでのシシィは現実に絶望しつつ死に憧れていて、その憧れを最後のよりどころにして戦ってきたんだけど、ただ自分の生き方を通すことを優先してルドルフを犠牲にしたので、死に憧れても死を選び取ることができなくなったんだろうなと
- あとは逃げ続けるように生きるしかできなくて、突然もたらされた死によって開放されたんだろうなって
- だからトートが別に帝王じゃないウィーン版は、トートがわりと待ちの姿勢なんだろうな…
その他
- 成河さんのルキーニは毎回とても自由なように見えて、きちんとやることとか意図とか個々の人への感情が練られて、それに基づいてきっちり動いていて、すっげえなって
- ドクトルが患者をみようとしてる癖に鞄を置き去りにする演出けっこう好きなんだけど、東宝でもやればいいのにい
- 猫を殺したって語呂悪いよな~ドイツ語だと歌詞にトートって入るのがすげえいいんだよなあ
- また観たいので全ツ楽しみにしてます成河さん続投してください